« ドリトル先生とシンカロットの意味 | トップページ | 90歳の歌声に感動 »

2013年12月 7日 (土)

あれから15年、南アフリカという国~マンデラ氏の死に思う

Memoryofpretoria4_3


私の自宅のレッスン室の壁の写真。
1998年の夏、南アフリカを初めて訪ねた時の写真である。

一昨日の12月5日に亡くなった、ネルソン・マンデラ氏(1918年7月18日生まれ)は
当時、南アフリカ共和国の第8代大統領で
80歳を迎えられていた。
80歳~「タハタッハ」という80歳を意味するオランダ語にそっくりの
アフリカーンス語の響きが愉快だったことを今でもよく覚えている。
あの時も、国民と一緒に踊っている写真が
新聞に掲載されたのではなかったかと思う。
(探せばどこかから出てくるかもしれない。。。)

27年間も投獄され(1964年、国家反逆罪で終身刑)、
しかし、その30年後、
人種差別の激しかった一国の
初の黒人大統領に就任。
一体、どんな人物だったのだろう。

In my country we go to prison first
and then become President .

どんな教育を受け、どんな人生を歩んだのだろう。
どうして投獄され、27年経ってどのような経緯で釈放され(1990年)、
そして1994年、大統領になる。。。。。しかも75歳で。
どうしてそんなことができたのだろう。

釈放した当時のデクラーク大統領は
「マンデラがいてくれてよかった。
権力の平和的移行の受け皿として信頼できる人物は、
彼以外にいなかった」と語ったという。
(12月7日朝日新聞10面)
イギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領
からのアパルトヘイト終結への圧力もあったという。
そうなのだ、イギリスは今年87歳で亡くなった
サッチャーさんの時代なのだ。

A good leader can engage in a debate frankly and thoroughly,
knowing that at the end he and the other side must be closer,
and thus emerge stronger.
You don't have that idea
when you are arrogant, suoerficial,
and uninformed.



私がオランダ政府の奨学金が頂けて
ユトレヒト王立音楽院に留学したのは
1994年のことだ。
その時、仲良くなったオランダ人の友人から親戚たちが住む
「南アフリカに遊びにおいでよ、素晴らしい国なんだよ!」と言われた。
「アフリカ~~!!???」
当時の私にとっては、月より遠くに感じられた。。。(大げさ…笑)
それほど縁のない未開の地に思えた。
「ボディ・マップ」にあらず、ワールド・マップは全く不均衡・不十分だった。

それから数年後、1998年、
偶然、3・4年に一度ある世界音楽教育学会が
南アの首都プレトリアであるという。
ではそれにひっかけて。。。ということで、
アムステルダムから南へ8時間、時差なし・季節逆の
ヨハネスブルクにフライトすることとなった。
KLM(オランダ航空)なら直行便がある。
近い!(いや、遠い!)
時差なしはラクだった。

冬とはいえ、昼間は温暖な気候。夜になると少し冷えたかな?
しかし驚いたのは、そのオランダ人の友人の兄弟たち
(つまり白人たち)は、門の上には鉄線が張り巡らされた
しかも皆、プール付きの豪邸に住んでいた。
巨大スーパーの駐車場に車を停車する時には
ハンドルに、驚くべき大きなカギをがちゃんとかけるのだ。
それだけ盗難がすごいという。

確かに、私が出席した会議に参加中の日本からの大学の先生方、
ホテルから歩いて3分の会場なのに、
日中、銃を持った男に襲われ、身ぐるみはがされ、
次の日からその近距離をタクシーで通うことになった。

当時、首都プレトリアでも、ヨハネスブルグでも殺人事件は日常茶飯事だった。
治安の悪さで一時、この会議自体も中止になろうという状況まで追い込まれたが、
しかし、なんとか開催にこぎつけたという経緯がある。

Memoryofpretoria10_isume

Memoryofpretoria6_isume


なぜだか急にカメラが動かなくなり、多くの写真が台無しになってしまった。
国際会議での私の写真はこれしかない。
左は会議場近くに咲く、アロエの花。(初めて見た!)
私の後ろは緑のユニフォームの合唱団。



しかし、何とも美しい国だった。
こんなにエネルギーにあふれ、こんなに美しい国があるなんて、
私はそう感じた。
遠くに見える山は金色に光っていた。
金が取れるからだそう。。。なるほど~~。

一方で、市内のバスもタクシーも大丈夫。
しかし電車には絶対乗ってはいけないと言われた。
私は全くトラブルには合わなかった。
もちろん、南アフリカ人やオランダ人の友人に守られたこともあるだろう。
しかし、私にとって最も印象的だったのは
黒人の人たちの笑顔とやさしさだった。

最初は、差別ということではなく、私はただ
黒い皮膚の人たちを見慣れないので、
目が驚いているという感じだった。
少し黒いならまだわかるけれど、湿った泥より黒い皮膚の人たちが
目の前にいる何人もいるということは、衝撃的だった。
知ってはいても、実際に会うとなんだか怖いのだ。

しかし慣れとは不思議なもので、1日あれば
すぐにどうもなくなる。
それどころか、白い歯がなんともきれいだ。
顔の区別もだんだんつくようになって来た。

残念~、私はアフリカーンスもズルー語もまったく話せない。
世界にはこんなにも多くの、名前すら全く知らない言語があるのだ
と改めて気づいたのは、この時だ。


Memoryofpretoria5_okimono


道端で驚くべき芸術的な工芸品が売られていた。
デパートで買う半分以下の値段だ。
しかし、全く出来は同じ、どれどころかすばらしいものがある。

Memoryofpretoria2

(なぜだか写真が縦にできない。縦の写真が横になる??)
左の黒い人形は黒檀を彫ってある。
上記の写真の時に求めたもの。


一度だけ、こわごわ一人でタクシーに乗ったけれど
黒人の運転手さんは
陽気に話しかけてくれて楽しかった。
郊外の友人の家まで、30分ぐらいはタクシーに乗っただろうか。

Memoryofpretoria7_dance_2


会議での演奏会で、いきなりコラボを始めた
2つの違う民族の演奏者たち。
合唱団と合奏団??



さて、マンデラさんの話に戻ろう。
1964年4月20日、反逆罪に問われた裁判の時、
マンデラ氏は次のように述べている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すべての人々が調和と平等な機会の下に暮らせる
民主的で自由な社会という理想に抱いてきた。
その理想こそ、
私が命を懸けて実現させたいものだ。
しかし、もし必要とされるのなら、
その理想の実現のために
死ぬ覚悟がある。

I have cherished the ideal of a democratic
and free society in which
all persons will live together
in harmony and with equal opportunities.

It is an ideal for whichhope to live for.

But my Lord, if it need be,
it is an ideal for which I am prepared to die.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そしてこの信念は
生涯、ずっと変わらなかったに違いない。

誰の人の心にも
星のようにいつまでも輝く
マンデラ氏のいくつかの語録を集めてみた。

★It always seems impossible until it’s done.

★If there are dreams about a beautiful South Africa,
there are also roads tht lead to their goal.
Two of these roads could be named Goodness and Forgiveness.

★I leaned that courage was not the absence of fear,
but the triumph over it.
The brave ma is not he who does not feel afraid,
but he who conquers that fear.

★I am fundamentaly an optimist.
Whether that comes from nature or nurture, I cannot say.
Part of being optimistic is keping one's head pointed toward the sun,
one's feet moving forward.
There were many dark moments
when taith in humanity was sorely tested,
but I would not and could not give myself up to despair.
That way lays defeat and death.

★No one is born hating another person
because of the color of his skin,
or his background, or his religion.
People must leran to hate,
and if they can be taught to love,
for love comes more naturally to the human heart that its opposite.

肌の色や育ち、信仰の違いを理由に
他人を憎むよう生まれつく人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎むことを学べるのなら、
愛することも学べる。
愛は憎しみより自然に人間の心に届くはずだ。
(1994年の自叙伝「自由への長い道」より)

★Do not judge me by my successes,
judge me by how many times I fell down and got back up agan.

★I am the captain of my soul.

★Appearances matter ~and rmember to smile.

★A winner is a dreamer who never gives up.

★Keep your friends close~
and your rivals even closer.




"Today it feels like the world got a little bit smaller."
とヨハネスブルクでは嘆いていると
New York Timesの記事。

しかし、これからまだまだ
マンデラさんから学べることが
多いだろう。
なんと偉大なのだろう!

まだまだ南アフリカも他のアフリカ諸国も
現在も治安は悪いし、資源が豊富なだけに
融和や平等からは程遠い状態だとという。

権力は、
持っている人(指導者)が、それらを持っていない人をより幸せに導くために
使ってはじめて意味があるのだと思う。
マンデラさんのような指導者をアフリカだけではなく
世界の国々が、アジアでも待ち望んでいるのかもしれない。





Memoryofpretoria3_5

友人ヒルダからもらったある黒人部族の
羊毛で作った絵!?
私はとても気に入って、
特別注文の額に入れて飾ってある。
毛糸なので厚みがあるため、普通の額にはうまく収まらなかったのだ。
(これも、もちろん、縦方向に向いている。)


カメラが壊れた後、
インスタントカメラ「写るんですよ」で撮った
クルーガー・ナショナルパークでの1枚(下記)。
当然望遠レンズなどついていません。
この距離にキリンがいたのです。
ちなみにクルーガー・ナショナルパークは
四国と同じ広さの公園?で
人は特定の場所以外、車から降りることはできません。

水と緑の意味と
動物が一挙に好きになった1998年でした。
楽天的で笑顔を絶やさなかったマンデラさんは
こんなこのブログの終わり方を許してくれるに違いない。

もう一度、南アフリカに行きたくなった。


Memoryofpretoria8_kirin_3


 

 






|

« ドリトル先生とシンカロットの意味 | トップページ | 90歳の歌声に感動 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/39602/54181012

この記事へのトラックバック一覧です: あれから15年、南アフリカという国~マンデラ氏の死に思う:

« ドリトル先生とシンカロットの意味 | トップページ | 90歳の歌声に感動 »