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2013年12月20日 (金)

うれしいメール~Solocおさらい会続き

昨日の「Solocわくわくおさらい会」
歌われたメンバーの一人、原さんから
こんなうれしいメールをいただきました。

原さんの本業はカウンセラー。
数年前、岡山で指導していた女性キャリア合唱団
「イウス・フェミーネ合唱団」が最初の出会いだった。

この合唱団、錚々たる女性キャリア
(つまり弁護士・大学教授・医者・政治家・会社経営者。。など)
という怖そうな?すご~いメンバーだったが、
歌うのは中学・高校以来という人がほとんどで
チャリテイーを目的とする合唱団募集のキャッチは
「音痴でも大丈夫」だったから、指導する私は、
音楽家と社会の非常識と常識の間を見事に翻弄させられることになり(笑)
想像を絶する、た・の・し・さだった。

原さんも、「音痴でも大丈夫」に安心して入団した
メンバーの一人だったかもしれない。(笑)

こんなに心優しい人を知らない。。。。そういう素敵な方だ。

その原さんからのメール。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
ありがとうございました。
おさらい会、お陰様で参加させていただき、
楽しい思い出になりました。

川井先生に、歌う楽しさをイウスの時からおしえていただけたなあ、
と改めて感じています。

帰りにご一緒した林さんが
「歌はよいですよ。元気が出ますから」
と教えてくださいました。
本当に同感です。
歌うことで、自分の中から力が出てくるように感じています。
他の上手な方の歌を聴いている時間も楽しかったです。
人の声って、気持ちを落ち着かせる力がありますね。

先生との写真、みんなとの写真、私の宝物です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

心優しい人のメールは読んでいて
こちらも心優しくなる。。。。いつも原さんんからのメールはそう感じる。
自分が忘れそうになっているものを思い出させてくれる。


岡山での講座Solocは、なんとも素人集団だが
音楽の根源ともいうべき、本質・意味のようなものに気づかされることが多い。
専門になればなるほど、忘れそうになることがあるような気がする。


音楽とは何だろう?
専門とは何だろう?
プロとはなんだろう?

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2013年12月19日 (木)

90歳の歌声に感動

朝日カルチャーセンター岡山が閉校になって、もう数年経つ。
その時の講座が今も岡山で続いている。

Solocそろっく
Soloで自分の好きな歌が歌えるようになるためCourseというわけで
このように命名。
大抵は岡山天神プラザの第5練習室で、
月1回、木曜日の午前10:00-12:00の
10人ほどのこじんまりとした講座だ。

30代・40代の人もいるが、
80歳の男性、90歳の女性がいることが
私にとっては自慢?の種。

なぜなら、おふたりともとても素敵な生き方をしてこられた人たちなので
話しているだけで楽しいし、その人生と同じように
真摯に歌われる。

今日はそのSolocになってから、
初めてのおさらい会を
明るい陽光がうれしい
ルーテル岡山教会で催した。

Soloc_pro_131219

年90歳になられる林さんは
そもそも9年前、81歳の時に私の朝日カルチャーの歌の講座に来られた。
キャッチであった「自分の好きな曲を一人で歌えるようにしましょう」
というところに惹かれ、今回歌われた
トーマの「君よ知るや南の国」を歌いたいと思ってのことだったという。
なんでも女学校時代に先輩が歌われていた憧れの曲なのだそうだ。

今回はそれを1番をフランス語、
2番を日本語で歌われた。

Connais-tu le Rays ?
君よ知るや南の国
(A.Thomas:歌劇「ミニヨン」よりミニヨンのアリア)

そしてもう1曲はアーンの歌曲だ。

Si mes vers avaient des ailes !
私の歌に翼があったのなら
(R.Hahn/V.Hugo)

そしてその演奏はこちら。
http://youtu.be/ZJ-ecX4lN5E


女学校以来とのことと、81歳から趣味で歌われて
90歳の今もこのように歌われる。
しかもいつも原語。
「庭の千草」も英語で歌われていたし、
グノーの「セレナード」もフランス語で歌われていた。

日本歌曲では「落葉松」「霧と話した」など。
そう言えばいい曲だったなと、「霧と話した」を
その年の自分のリサイタルの曲に入れたこともある。

いつも
しみじみと心に響く。
だれもがそっと心を傾けたくなるように
歌われる。

Soloc1_131219


おさらい会前の談笑。
90歳の林さんのきらきら動くイヤリングと
80歳のやさしい表情の高階さんの白い蝶ネクタイがすてき。
高階さんは「城ケ島の雨」をしっかり
歌われた。

Soloc2_131219


左はお世話係の久保さん。
久保さんがいないと、会はできません。
いつもありがとうございます。

Soloc_chri_131219

久保さんのお庭から、朝の水仙と
ちょっとした飾りつけで
空間がさらにすてきに。
こんな心遣いがうれしいです。

午前中はいつものようにレッスン(講座)、
その最後にはリラックスの瞑想。
私が最近お気に入りの「微笑瞑想法」
(深沢悠二「からだと心のマネージメント」p136より)

ゆっくり目を閉じて柔和なまなざし。
なにかとてもかわいいもの、愛おしいものを想像して
目でやさしく微笑む。
次の頬を緩め、目と頬で微笑む。
今度は口元をほころばぜ、
目と頬と口で微笑む。
舌の付け根、首の後ろの力を抜くと
一層個の微笑みお感じが顔面に広がっていく。。。。。。。

<続きは上記の本までどうぞ!
「フェルデンクライス・メソッドへの誘い」という副題のVery Goodな本です>


Soloc3131219


ちょっとおすましで、終演後に記念撮影。

さらにそのあとは茶話会でした。
今度は5月に、倉敷の自宅に個人レッスンに来られている人も含めて
ホールでの発表会を予定しています。


皆さん、まずは一休み。
そして引き続き、Enjoy Singing  !!

Happy Holidays !!


 

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2013年12月 7日 (土)

あれから15年、南アフリカという国~マンデラ氏の死に思う

Memoryofpretoria4_3


私の自宅のレッスン室の壁の写真。
1998年の夏、南アフリカを初めて訪ねた時の写真である。

一昨日の12月5日に亡くなった、ネルソン・マンデラ氏(1918年7月18日生まれ)は
当時、南アフリカ共和国の第8代大統領で
80歳を迎えられていた。
80歳~「タハタッハ」という80歳を意味するオランダ語にそっくりの
アフリカーンス語の響きが愉快だったことを今でもよく覚えている。
あの時も、国民と一緒に踊っている写真が
新聞に掲載されたのではなかったかと思う。
(探せばどこかから出てくるかもしれない。。。)

27年間も投獄され(1964年、国家反逆罪で終身刑)、
しかし、その30年後、
人種差別の激しかった一国の
初の黒人大統領に就任。
一体、どんな人物だったのだろう。

In my country we go to prison first
and then become President .

どんな教育を受け、どんな人生を歩んだのだろう。
どうして投獄され、27年経ってどのような経緯で釈放され(1990年)、
そして1994年、大統領になる。。。。。しかも75歳で。
どうしてそんなことができたのだろう。

釈放した当時のデクラーク大統領は
「マンデラがいてくれてよかった。
権力の平和的移行の受け皿として信頼できる人物は、
彼以外にいなかった」と語ったという。
(12月7日朝日新聞10面)
イギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領
からのアパルトヘイト終結への圧力もあったという。
そうなのだ、イギリスは今年87歳で亡くなった
サッチャーさんの時代なのだ。

A good leader can engage in a debate frankly and thoroughly,
knowing that at the end he and the other side must be closer,
and thus emerge stronger.
You don't have that idea
when you are arrogant, suoerficial,
and uninformed.



私がオランダ政府の奨学金が頂けて
ユトレヒト王立音楽院に留学したのは
1994年のことだ。
その時、仲良くなったオランダ人の友人から親戚たちが住む
「南アフリカに遊びにおいでよ、素晴らしい国なんだよ!」と言われた。
「アフリカ~~!!???」
当時の私にとっては、月より遠くに感じられた。。。(大げさ…笑)
それほど縁のない未開の地に思えた。
「ボディ・マップ」にあらず、ワールド・マップは全く不均衡・不十分だった。

それから数年後、1998年、
偶然、3・4年に一度ある世界音楽教育学会が
南アの首都プレトリアであるという。
ではそれにひっかけて。。。ということで、
アムステルダムから南へ8時間、時差なし・季節逆の
ヨハネスブルクにフライトすることとなった。
KLM(オランダ航空)なら直行便がある。
近い!(いや、遠い!)
時差なしはラクだった。

冬とはいえ、昼間は温暖な気候。夜になると少し冷えたかな?
しかし驚いたのは、そのオランダ人の友人の兄弟たち
(つまり白人たち)は、門の上には鉄線が張り巡らされた
しかも皆、プール付きの豪邸に住んでいた。
巨大スーパーの駐車場に車を停車する時には
ハンドルに、驚くべき大きなカギをがちゃんとかけるのだ。
それだけ盗難がすごいという。

確かに、私が出席した会議に参加中の日本からの大学の先生方、
ホテルから歩いて3分の会場なのに、
日中、銃を持った男に襲われ、身ぐるみはがされ、
次の日からその近距離をタクシーで通うことになった。

当時、首都プレトリアでも、ヨハネスブルグでも殺人事件は日常茶飯事だった。
治安の悪さで一時、この会議自体も中止になろうという状況まで追い込まれたが、
しかし、なんとか開催にこぎつけたという経緯がある。

Memoryofpretoria10_isume

Memoryofpretoria6_isume


なぜだか急にカメラが動かなくなり、多くの写真が台無しになってしまった。
国際会議での私の写真はこれしかない。
左は会議場近くに咲く、アロエの花。(初めて見た!)
私の後ろは緑のユニフォームの合唱団。



しかし、何とも美しい国だった。
こんなにエネルギーにあふれ、こんなに美しい国があるなんて、
私はそう感じた。
遠くに見える山は金色に光っていた。
金が取れるからだそう。。。なるほど~~。

一方で、市内のバスもタクシーも大丈夫。
しかし電車には絶対乗ってはいけないと言われた。
私は全くトラブルには合わなかった。
もちろん、南アフリカ人やオランダ人の友人に守られたこともあるだろう。
しかし、私にとって最も印象的だったのは
黒人の人たちの笑顔とやさしさだった。

最初は、差別ということではなく、私はただ
黒い皮膚の人たちを見慣れないので、
目が驚いているという感じだった。
少し黒いならまだわかるけれど、湿った泥より黒い皮膚の人たちが
目の前にいる何人もいるということは、衝撃的だった。
知ってはいても、実際に会うとなんだか怖いのだ。

しかし慣れとは不思議なもので、1日あれば
すぐにどうもなくなる。
それどころか、白い歯がなんともきれいだ。
顔の区別もだんだんつくようになって来た。

残念~、私はアフリカーンスもズルー語もまったく話せない。
世界にはこんなにも多くの、名前すら全く知らない言語があるのだ
と改めて気づいたのは、この時だ。


Memoryofpretoria5_okimono


道端で驚くべき芸術的な工芸品が売られていた。
デパートで買う半分以下の値段だ。
しかし、全く出来は同じ、どれどころかすばらしいものがある。

Memoryofpretoria2

(なぜだか写真が縦にできない。縦の写真が横になる??)
左の黒い人形は黒檀を彫ってある。
上記の写真の時に求めたもの。


一度だけ、こわごわ一人でタクシーに乗ったけれど
黒人の運転手さんは
陽気に話しかけてくれて楽しかった。
郊外の友人の家まで、30分ぐらいはタクシーに乗っただろうか。

Memoryofpretoria7_dance_2


会議での演奏会で、いきなりコラボを始めた
2つの違う民族の演奏者たち。
合唱団と合奏団??



さて、マンデラさんの話に戻ろう。
1964年4月20日、反逆罪に問われた裁判の時、
マンデラ氏は次のように述べている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すべての人々が調和と平等な機会の下に暮らせる
民主的で自由な社会という理想に抱いてきた。
その理想こそ、
私が命を懸けて実現させたいものだ。
しかし、もし必要とされるのなら、
その理想の実現のために
死ぬ覚悟がある。

I have cherished the ideal of a democratic
and free society in which
all persons will live together
in harmony and with equal opportunities.

It is an ideal for whichhope to live for.

But my Lord, if it need be,
it is an ideal for which I am prepared to die.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そしてこの信念は
生涯、ずっと変わらなかったに違いない。

誰の人の心にも
星のようにいつまでも輝く
マンデラ氏のいくつかの語録を集めてみた。

★It always seems impossible until it’s done.

★If there are dreams about a beautiful South Africa,
there are also roads tht lead to their goal.
Two of these roads could be named Goodness and Forgiveness.

★I leaned that courage was not the absence of fear,
but the triumph over it.
The brave ma is not he who does not feel afraid,
but he who conquers that fear.

★I am fundamentaly an optimist.
Whether that comes from nature or nurture, I cannot say.
Part of being optimistic is keping one's head pointed toward the sun,
one's feet moving forward.
There were many dark moments
when taith in humanity was sorely tested,
but I would not and could not give myself up to despair.
That way lays defeat and death.

★No one is born hating another person
because of the color of his skin,
or his background, or his religion.
People must leran to hate,
and if they can be taught to love,
for love comes more naturally to the human heart that its opposite.

肌の色や育ち、信仰の違いを理由に
他人を憎むよう生まれつく人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎むことを学べるのなら、
愛することも学べる。
愛は憎しみより自然に人間の心に届くはずだ。
(1994年の自叙伝「自由への長い道」より)

★Do not judge me by my successes,
judge me by how many times I fell down and got back up agan.

★I am the captain of my soul.

★Appearances matter ~and rmember to smile.

★A winner is a dreamer who never gives up.

★Keep your friends close~
and your rivals even closer.




"Today it feels like the world got a little bit smaller."
とヨハネスブルクでは嘆いていると
New York Timesの記事。

しかし、これからまだまだ
マンデラさんから学べることが
多いだろう。
なんと偉大なのだろう!

まだまだ南アフリカも他のアフリカ諸国も
現在も治安は悪いし、資源が豊富なだけに
融和や平等からは程遠い状態だとという。

権力は、
持っている人(指導者)が、それらを持っていない人をより幸せに導くために
使ってはじめて意味があるのだと思う。
マンデラさんのような指導者をアフリカだけではなく
世界の国々が、アジアでも待ち望んでいるのかもしれない。





Memoryofpretoria3_5

友人ヒルダからもらったある黒人部族の
羊毛で作った絵!?
私はとても気に入って、
特別注文の額に入れて飾ってある。
毛糸なので厚みがあるため、普通の額にはうまく収まらなかったのだ。
(これも、もちろん、縦方向に向いている。)


カメラが壊れた後、
インスタントカメラ「写るんですよ」で撮った
クルーガー・ナショナルパークでの1枚(下記)。
当然望遠レンズなどついていません。
この距離にキリンがいたのです。
ちなみにクルーガー・ナショナルパークは
四国と同じ広さの公園?で
人は特定の場所以外、車から降りることはできません。

水と緑の意味と
動物が一挙に好きになった1998年でした。
楽天的で笑顔を絶やさなかったマンデラさんは
こんなこのブログの終わり方を許してくれるに違いない。

もう一度、南アフリカに行きたくなった。


Memoryofpretoria8_kirin_3


 

 






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2013年12月 5日 (木)

ドリトル先生とシンカロットの意味

『ドリトル先生航海記』を読まれたことがある方も多いでしょう。
私は実は読んだことがなく。。。

しかし、次のようなことがある雑誌に載っていました。
ちょっと面白かったので思わず、メモってしまいました。

ドリトル先生の「ドリトル」とは

do little =おサボリ

動物相手に浮世離れした暮らしを送る、脱力系の人

イギリスの片田舎ポドルビーという町に住む(町の名前は作家ヒュー・ロフティングの創作)

 

島で王様に祭り上げられた時、名前がふさわしくないとして、
シンカロットと改名させられた。

think a lot

カタカナで書くと、元の英語が
想像つかなくなりますね。





皆さんはどちらの名前がいいですか?

私は断然、ドリトルです。
ドリトル弘子

 

 

「ドリトル先生の舞台を訪ねて」

福岡伸一~生物学者、青山学院大学教授

(ANA機内誌「翼の王国」2013.12月号)より

125()富山→羽田の機内で

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2013年12月 3日 (火)

富山でのボディ・マッピング講座

Fuji_20131205

12月5日(木)富山から羽田に向かうフライトでの一枚です。
左後ろには富士山が見えています。

東京から5泊6日の富山滞在、
今までの中で最長でした。

1日(日)は洗足音大の校舎の後、新川・学びの森 桜ホールで
ボディ・マッピング2時間入門講座
「音楽家ならだれでも知っておきたい『からだ』のこと」を
久々に開催しました。

131201ae_toyama1 131201ae_toyama2

ヴァイオリン、ピアノ、フルート、声楽(ソプラノ)の方に
実際に演奏していただき、公開レッスン形式で、
『ボディ・マッピング』とは何か、
それがわかると、正しく修正されると、
どのように音が変化するのか、
演奏時のからだの感じ・状態・今まであった痛み・息苦しさが
どのように変わるのか・改善されるのか
体験していただきました。

Bm_2hour_toyama_flute_20131201


何よりも公開レッスン形式でいいのは、
私の注意や「ボディ・マップの修正」により
音の変化がどのように起こるかが
一目(一聴?)瞭然なことです。

しかも、わずかな「気づき」から起こる、
大きな効果が起こるのです。
人間のからだは不思議です!

「塵も積もれば『癖』となって」先に進めなくなっている方に
新たなヒントで気づいていただき、
励まし、先に進んでいただく講座です。


すばらしい会場なのですが、富山市内から車で1時間と
便の悪い会場ということもあったのか、参加は30名弱と少な目でしたが、
それでも金沢方面から車で2時間以上かけて来て下さっている方などいて
ありがたいことでした。

とても有意義な講座になったと思っています。
何よりも皆さんの反応がよく、
浸み入るようにとても熱心に聞いてくださいました。
終わった後も挨拶に来て下さる方、質問を熱心に続けられる方など
多くの方に囲まれました。



後援をいただいていた北日本新聞に、
このような記事が翌朝、載りました。
新しい輪転機で、カラーが多いことが自慢の地元紙です。
取材に来て下さっていて記者さんも、なんだかじっくり聞いてださってました。
(ありがとうございました!)

Kitanippon_shinbun_20131202 <北日本新聞 2013年12月2日(月)>

2時間の講座の後、
午後からは「グループレッスン」を行いました。
チラシにはこの名前しか表記せず、
きちんと説明をしていなかったので
意味がよく伝わらなかった方もあったようです。
「グループで受講してください」という意味ではなく、
「一人ひとりご参加ください。。。但し、
全体としては数人での
グループレッスンですよ」という意味でした。
1人/1時間の「個人レッスン」に対して
「グループレッスン」という意味で
2時間を数名で行うものです。
8名定員でしたが、
結局、4名(ヴァイオリン・ホルン・ピアノ2名)の方が受講され、
たっぷりと時間がありました。

自分の変化とともに、
楽器は違ってもお互いの明確な変化を目の当たりにすることで
「ボディ・マッピング」の効果や「気づき」を
高められます。
講座と併用することで、倍以上理解が進むと
お勧めです。
勿論、2時間講座・2時間グループレッスン・
日を改めての1時間個人レッスンと3セットで
受講された方があり、3倍以上の効果があったと思われます。

何でもそうですが、
「ボディ・マッピング」も時間をかければかけるほど
理解が進み、身につきます。

それにしても、この日、最も感じたのは
ヴァイオリンやフルートで
指がうまく動かないことが
こうまでも立ち方(膝蓋骨の位置や膝関節の認識)で
改善されようとは。
指のことはもちろん、肩のマッピングさえまだなのに
明らかにその動きや音が改善されたのです。

また、本番で「あがる」ことが、
どのように体重が脊椎を運ぶかを認識、
体験することで、からだ全体に安心感が広がるか、
「あがらなくなる」かを
私自身も改めて目の当たりにいたしました。
受講してくださる方のお顔の表情が、みるみる変わっていったのです。

練習は少し多めに欲張って、しかもプレッシャーをかけてするものではなく、
「安心して本番が迎えられるように」
「安心感が増す」ように、少しずつ、
実は「少な目に・少な目に」
回数を多く練習することの方が効果的なこともあるのです。
なぜなら、一旦、からだに無理が掛かり始めると
からだは思ったように動けなくなるのです。

まずはうまくいかないことを「許し」Allow
忍耐強、く時間をかけて取り組もう!と話しました。
「まずはどのくらいできないのか、知りましょう!
それは次なるすばらしいステップにつながるのです!」

冬が長く、雪に閉ざされる北陸の人たち、
控え目で自分に厳しいだけではなく、
だからこそ、自分に寛容に、じっくりと先に進めますね
とお話しました。

北陸の皆さん、
ありがとうございました!


来年2014年は
★7月27日(日)に同会場・新川<学びの森>桜ホール(富山県魚津市)で
★9月14日(日)には石川県立音楽堂・交流ホール(JR金沢駅前)
「音楽家ならだれでも知っておきたい『からだ』のこと」
(どちらも10:00-12:00を予定)を
開催いたします。

今回、ご都合が悪かったといわれる方、
どうぞお誘いあわせの上、ご来場ください。
プロの方も先生方も、愛好家の方も、
あなたの音楽生活をリフレッシュさせる
きっとよいことが起こります!


そして旅の最後は
射水市でズワイガニを食べました。
2匹とも生きてました。

Kani


なので、片側の脚はお刺身に、
真ん中は焼いてもらい、
もう片側の脚は茹ででもらいました。

Kani_2

う~~~ん、美味!
富山でカニを本格的に?!食べるのは
初めてでした。

そして新湊大橋の美しかったこと。

夜10時過ぎなのに
ロシア人の子供連れのご家族にも、
釣りに出かけるらしいおじさんにも
出会い、「こんばんは!」と挨拶を交わしました。


富山市から車で30分余り、
連れて行ってくれたのは
BM北陸事務局の政二さんでした。
北陸地方でのレッスンのお問合せは
こちらです。

==============================================
音楽家のための『ボディ・マッピング』研究会・北陸支部

(略称:BM北陸)
 事務局
 政二 義之 MASANI Yoshiyuki

 E-Mail: hiroko.bm.hkrk@gmail.com
  Tel: 090-8095-5228
==============================================

来年も4回、北陸地方に伺います!

 

 

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